概要
高速(東九州自動車道)の隼人東ICから降りて5分ほどのところにあるお城跡。道路からも石垣がちらりと見えてロマンを匂わせています。かの戦国の英雄、島津義久が10年ほど住んだとされています。現在は建物は無く、石垣のみがその姿を保っています。お城内は公園(稲荷山公園)になっているので子どもたちを遊ばせるのにいいです。小高い丘の上の眺めもよく、お弁当を持ってハイキングするのもおすすめです。
霧島市国分は古い道が多く残っているので、ナビで行くときにはご注意を。比較的行きやすい道を載せておきますのでご参照ください。駐車場は神社(稲荷神社)の鳥居の脇から入りますが、逆方向(国道側)から来ると城壁のために視野が悪いので注意です。
道のり
歴史
文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の力に屈し、家督を譲って隠居した島津義久は鹿児島からこの富隈城に居城を移しました。この義久がまた面白い人物なんです。戦国時代の信長の野望などで有名な島津四兄弟の長男で、薩摩、大隅、日向を統一し、九州制覇に王手を書けたところで秀吉に負けて家督を譲り、この城に隠居することになりました。ただ、隠居後も島津家での影響力は依然強く、その後もいろいろ暗躍したとか。
富隈城は小さな山を利用した平山城で、天守閣がない館形式の城だったそうです。石垣は戦国時代のメイン工法である野面積みです。お城としての防御性能は微妙だそうですが、秀吉を刺激しないための策だったのでしょうか。
実際行ってみて
野面積みの石垣をみつつ戦国末期の築城に思いを馳せます。鳥居をくぐって、稲荷神社にお参り。その後お城跡の階段をのぼっていきます。季節がら、セイタカアワダチソウが一面に黄色く咲いていて風情があります。子どもたちと小高い丘をゆっくり登っていきます。
周りに高い建物が少ないため、頂上は眺めが壮観です。特に北側からみた桜島と錦江湾がいいですね。義久公もこの景色をよく眺めていたことでしょう。丘の上には当然建物は残っていませんが、基礎になったと思われる石がいくつか残っています。
往年のお城を想像しつつ、道なりにくだっていくと、すぐにアスレチックがみえてきます。小学生が喜んで遊びそうなやつですね。ただ、蜘蛛が多いのでちょっと注意しましょう。さらに降りていくと、丘の下にはジャングルジムとか幼稚園生でも楽しめそうな遊具と芝生がありました。ここでしばらく子どもたちを遊ばせます。
帰りは神社の脇にショートカットがありますのでまた登ることはありません。ちなみにお城の1/3くらいをNHKの電波塔が占拠していて入れません。時間と体力(子供たち)に余裕があれば、外壁を散歩してみるのもいいでしょう。
ポイントと注意点まとめ
- 戦国期の英雄が10年住んだロマンのスポット
- 子供(2歳、4歳)でも楽しめる遊具がある
- 駐車場への道が狭いのと、道のりがちょっとわかりにくい(マップご参照を)